スタジオジプリ代表作「魔女の宅急便」
企画当初は、興行収益によってはジプリ最後の映画になるかもしれないという状況だったが、蓋を開けてみると「となりのトトロ」の3倍以上の観客動員を記録した。
そんなジプリの代表作「魔女の宅急便」にはいろいろな都市伝説が噂されています。
それらをご紹介します。
魔女の宅急便の制作秘話
配給元の東映は、前回東宝配給の作品「火垂るの墓」「となりのトトロ」の興業的失敗を受け、ジプリ作品は今作品が最後と決めていた。
魔女の宅急便は初の黒字作品
いまでこそスタジオジプリ作品は人気を博していますが、当時「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」などの初期作品の興行収入はあまり芳しくありませんでした。
「魔女の宅急便」では、大きなスポンサーが付いたりCM等も効率よく打ち出すことにより過去作品の3倍以上の成績を収めました。
原作者からクレーム?
原作者は「角野栄子」で、東京出身の童話作家です。
2000年紫綬褒章、2014年旭日小綬章を受章しています。
ジプリ映画と原作は世界観が大きく異なります。
原作者の角野氏からクレームが入ったとの話もありますが、宮崎駿監督との話し合いで解決したようです。
監督を変えた?
ジプリは「火垂るの墓」「となりのトトロ」の製作を開始したばかりのタイミングであったため、監督は有望な若手を起用する線で進んでいた。
脚本も一色伸幸が担当し宮崎駿はプロデユーサーのみを請負う形としました。
製作が進み、一色伸幸の脚本が完成、しかし作品の雰囲気と合わないと評価が悪く、ちょうど「となりのトトロ」の作業が終わった宮崎駿が脚本を書くことになり一色伸幸は降板しました。
監督も片渕須直が担当する予定でありましたが、最終的には宮崎駿がプロデューサー、脚本、絵コンテ、監督の四役を担う事になりました。
キキに関する都市伝説
キキは13歳の満月の夜、黒猫のジジを連れて魔女の修行に出ます。
そして物語が始まります。
キキが魔女になった理由は?
女の子は13歳になると必ず魔女になるしきたりなのです。
キキのお母さんも魔女ですが、お父さんは普通の人です。
黒猫ジジを連れて修行にでます、そして魔法で1年間生計を立てられれば合格で、親の元へ帰れる事になります。
物語の世界観は、魔女が存在することが当たり前で、それが前提でいろいろな物語が展開します。
キキが突然飛べなくなるのはなぜ?
物語の後半、キキは魔法が使えなくなり空を飛べなくなります。
なぜ?飛べないの?っと悩みます。
魔女のキキが、絵描きの女性ウルスラとあって会話するシーンがあります。
“ウルスラ:「魔法も絵も似てるんだね。私もよく描けなくなるよ」
キキ:「ホント!? そういう時 どうするの。私、前は何も考えなくても飛べたの。でも どうやって飛べたのか今は分からなくなっちゃった」
ウルスラ:「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて描いて描きまくる」
キキ:「でも やっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ:「 描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」
ウルスラ:「魔法って 呪文を唱えるんじゃないんだ」
キキ:「うん、血で飛ぶんだって」
ウルスラ:「魔女の血か、いいね。私そういうの好きよ。魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神さまか誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ」
この会話からも解りますよね。
魔法を使う、空を飛ぶと言うのは、絵を描くのと一緒で親からもらった才能って言っています。
その個人の才能がある日突然使えなくなると言う事…
これはやっぱり心の変化によるものと思います。
思春期の女の子が人々と関り合い、恋をし、嫉妬や劣等感を経験する。
それらが相まってスランプに陥るということではないでしょうか。
宮崎駿監督は
「魔法は才能で、キキが飛べなくなるのは理屈ではわからない」
とインタビューで答えています。
キキが母親に?
原作では主人公キキが10歳から35歳までの物語を綴っています。
22歳の時、キキは“とんぼ”と結婚します。
その後、キキ35歳の時、双子の兄妹お母さんになっています。
男の子は“とと”女の子は“にに”と言います。
キキとトンボの都市伝説
のどかな田舎町コリコで一人魔女の修行に励むキキ。
或る日、騒動をおこし警官に捕まりそうになるキキを助けてくれた少年トンボ。
キキより一つ年上で14才、いつも丸眼鏡に自転車、であだ名が“トンボ”。
その後2人は徐々に近づいて行きますが、お互いの気持ちははっきりしません。
そして物語はクライマックスへと…
キキはトンボを利用している?
一部の人々の間では、
「トンボはキキの成長のために利用されていたのではないか」
といわれています。
というのも、トンボはキキに対して一目惚れのように恋心を抱いています。
しかし、キキはトンボに対してはせいぜい友人程度にしか思っていませんでした。
さらに映画では物語全体的に、トンボとキキの恋愛は話の主軸ではなく、あくまでキキの成長が話の主軸に置かれていました。
こういうところから、トンボはキキの成長に利用されてしまったのではないかと考える人が多いようです。
しかし、原作では映画とはガラリと違うキキとトンボの恋愛が描かれ、甘い恋の季節を過ごし、結婚、出産へと幸せに展開します。
キキの成長のお話と2人の恋の話が二つの軸として展開します。
だから、キキがトンボを利用しているとは映画の世界観だけからの思いかもしれません。
ジブリバスが登場する?
劇中で「スタジオジブリ」と英文字で書かれたバスが登場します。
このバスのシーンはテレビ放送でカットされ別の名前に変更させられたというような都市伝説があります。
しかし、これは確認できませんでした。
一人二役の声優が存在する
キキと画家の”ウルスラ”、実は同じ声優”高山みなみさん”が演じています。
元々ウルスラ役でオファーを受けていた高山みなみさん。
次に主役キキを任せられる声優が他に見つからず高山さんにとの話が上がりました。
今度はウルスラ役をする人がいなくなるので、仕方なく1人2役になったといわれています。
ジジが人間の言葉を話せなくなった本当の理由
キキの相棒として重要な存在、黒猫ジジ。
お話の途中までは人間の言葉を話していましたが、突然しゃべれなくなってしまいます。
これについてジジの声を担当した声優の佐久間レイさんは
「ジジはキキの心の声を代弁しているだけで本当はしゃべっていない、一種のイマジナリーフレンドである」
と自身のブログで説明していました。
さらに「もうキキは成長したのでジジの声は必要じゃないから」とも説明していました。
宮崎駿監督もこの意見には賛同していています。
クライマックスは後付けだった?
映画のクライマックスはキキがトンボを助けるシーンでクライマックスを迎えます。
これは原作にはありません。
映画を盛り上げるために後付けでしたお話です。
ほんとうはキキが成長して終わりだったのですが、映画として魅力に欠けるとの判断でした。
鈴木プロデューサーは「映画を観に来る人は楽しみたくて映画を観に来ているのだから、最後ぐらいは何か大見せ場がないと」と言う事でトンボ救出シーンを挿入しました。
当初は老婦人がキキにケーキをプレゼントして、キキが涙ぐむという地味なエンディングだったようです。
「ヤマト運輸」との関係
「クロネコヤマトの宅急便」で有名な「ヤマト運輸」と「魔女の宅急便」の関係について検証していきたいと思います。
実はジプリは宅急便が商標登録とは知らなかった
スタジオジブリは「宅急便」がヤマト運輸の商品であり、商標登録していることを知らずそのまま「宅急便」として使ったそうです。
ヤマト運輸から申し入れがあり、ジブリとヤマトの話し合いの結果、スポンサーになることで話が落ち着いたといわれております。
公開前の新聞広告では「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」というキャッチコピーはかなり有名になりました。
さらにヤマト運輸も「ヤマトは成長しました。宅急便は一般名称になります。」という広告を打ち、本作を支えるようになったといわれています。
実はスポンサーにする必要がなかった
実はジブリはヤマト運輸をスポンサーにする必要はありませんでした。
というのも、商標権侵害はなかったからです。
そもそも映画化が進む前に「魔女の宅急便」は小説として人気を博していました。
しかし、ヤマト運輸は原作者に申し入れはしていませんでした。
映像化になったとたん、この話が出てきたので、恐らく
「映画がコケた場合、ヤマト運輸に何かしらのマイナスイメージがくるのではないか」
という心配がヤマト運輸の間にあったのではないかと言われています。
劇中に宮崎駿監督が登場する!?
物語のクライマックスはキキがトンボを救うシーンでお話は一気に盛り上がります。
魔力が復活しないキキはふらふらと飛びながら飛行船からぶら下がるトンボを助けます。
このシーンでは今まで登場したあらゆるキャラクターが全員集結しキキを見守ります。
これについては恐らく宮崎監督がスケールの大きいエンディングにしたかったからと言われています。
その中には宮崎駿監督も登場するそうです?
実はクライマックスシーンで、宮崎駿監督らしきキャラが出てきていて、モニターでキキを見て驚いている様子が描かれています。
これについてスタッフから「監督、遊びすぎですよ」とたしなめられたそうです。
老婦人の家政婦は紅の豚のヒロインの親戚だった?
劇中に登場する家政婦がキキの姿をみて「本当ひい婆ちゃんの言ってた通りだわ」と感動します。
それが紅の豚に出てくるヒロインの知り合いが雇った臨時バイトの老婆に似ていることから、この二つの作品が同じ世界観にあるのではないかといわれています。
しかし、これらには何の根拠もなくデマといっていいでしょう。